毒親 〜父親編〜

毒親 毒親

父は家族に対して優しい人ではありませんでした。私は、叩かれたかと思うと欲しいものを買ってくれたりする二面性の持ち主の父の機嫌に左右されながら育ちました。子供の頃から、心は壊れていっていました。昔は「虐待」とう言葉自体きいたことはなく、「しつけ」で片付けていましたよね。

そんな父ですが、お金の管理はすべて母に任せていたので、ひもじい思いをしたとか、学校で必要なものを買ってもらえなかったというようなことはなかったです。そこだけは救いでしたね。

他人様にはいい人

父は家の中ではいつもしかめっ面。家族とは会話できない人でした。思い通りにならないとすぐ怒鳴り散らす自分本位の人でした。しかし、家から一歩でも出ると別人。めちゃくちゃいい人。笑顔で冗談まじりで会話しますから、「いい旦那さんですね。」と母はよく言われ、苦笑いしていました。逆の外で厳しい人で、家では優しい旦那・父であって欲しかったです。

夫婦喧嘩の絶えない家庭

大概、父が女の人に優しく接してるところを目にして嫉妬した母が険悪ムードを作り喧嘩となっていたような気がします。そして、怒鳴られ母は泣く。
幸い、父が母に手をあげることはなかったのですが、物にあたり威嚇していましたね。
私達姉妹はいつも物陰に隠れて怯えていました。
結局、ダンマリに耐えられなくなった父が謝っていたのをよく見ていました。なぜ母は旦那の正体を見抜けなかった?怒りしかない。私はわかります。あー、この人は暴力ふるうタイプ。優しい人。

結婚には向き不向きがあります。お互いを尊重できない人は結婚したらダメなんです。でないと、家族みな不幸になります。

アメとムチ

父に褒められたことはありません。怒鳴られ叩かれてばかりでした。
出来て当然。できなければ、罵られ、平手が飛んできます。
小学生の頃は、今は見かけませんがハエ叩きでモモを叩かれていました。。
モモは無惨に網目状にミミズばれ
その足のままで集団登校で学校へ行きました。
ミミズばれなんて今は死語じゃないですか?!
もう、これ絶対、虐待ですよね。今思い出そうとしても、思い出せませんが「私は、そんな朝から怒られ叩かれなければならないようなこと、何をしたんだろう?」と疑問でなりません。朝起きて支度してご飯食べて学校行くまでの間に・・・。

そんな父ですが、仕事の合間に家に戻ってくる際にケーキ等おやつを買ってきてくれたり、休みの日に出かけた際に欲しい物を買ってくれたりもしたんです。
そうしないと、私達が懐かないと思ってたんでしょうね。
まんまと幼い姉妹は騙されましたが。アホですね。

カウント10

名前を呼ばれて10数えるうちに父のところに行かなければ、制裁が下ります。
たいした用事ではないんです。
ゴミを捨ててほしいとかチューがしたいだけ。くだらない用事です。
私はどうでもいい用事だとわかっているし、チューは臭くてキモいから父のところに絶対行きたくない。
だから行かない。叩かれる。その繰り返しです。
母は何をしてたんだろう?
助けてくれたことはないですね。
自分に被害が及ばないよう、見て見ぬフリをしていたかもしれません。

普通の家庭

陰鬱な家庭で育っていても、よその家庭の事は知らないですから、それが普通だと思っていたのが怖いところです。
一応、食事は家族みんなでいただきました。会話はなかったですが。
それだけで一家団欒だと思っていました。

マインドコントロール?!

父は留守番ができない人でした。
1人、家に残されるのがイヤなんです。
だから、母と買い物に出掛けたくても絶対に父がついてきます。
スーパーなんて、カート引くだけですよ。それでも行きたい。
高校生ぐらいまで休日は一緒に出かけなくてはなりませんでした。
当時は「20歳過ぎても一緒にいることはないだろうから、それまでの我慢」と自分に言い聞かせていました。
よく考えたら、親のいう事を聞かなくてもいいのに、私は従っていた。これってマインドコントールされていたってことでしょうか。反抗すればそれなりの制裁を受けることわかってますからね。

父の介護

幼少期から20歳ぐらいまで父に泣かされてきました。
流石に大人になってからは、手をあげられることはなくなりました。
母が亡くなってから、半年後、父の介護が始まりました。
父に対して嫌悪しかなかったのに、逃げることなく、義務として、当然のこととして、なぜ父の介護を受け入れたんでしょう?やはりマインドコントロールですよね。
あの時逃げていれば、人生かわっていたでしょう。

亡くなった人のこと、悪く言うのは良くないですが、鬼のように毒がでてきました。
長々とお付き合いくださりありがとうございます。