毒親 〜母親編〜

毒親

母は、今思えば、父の異常な束縛により「鬱」状態だったと思います。
母から暴言をはかれたり、暴力を振るわれたことはありません。しかし、母は私に無関心でありながらも束縛・支配していました。

傍から見たら「いいお母さん」だったと思います。

6畳間に姉妹2人

子供の頃、私と妹はいつも2人一緒でした。薄暗い6畳間に閉じ込められて2人でコソコソと遊んでいました。
母は友達と遊ぶことを許してくれませんでした。
「家の中で、2人で遊びなさい!」
遊びに行くこともダメ。友達を家に呼ぶなんてもってのほか。
おそらく、時間になっても戻らない子供を心配して探しにいくだとか、遊んだ後の部屋の掃除とかもろもろ面倒くさかったんでしょうね。

恐怖のお出かけ~電車編~

私が幼稚園ぐらいの時、たま〜に、母は決まって電車で小さな駅ビル(小さなデパートっぽい感じの所)に私たちを連れて連れて出かけました。今日は旦那は帰ってこないと確信できる日があったんでしょうね。
ここまではいいです。
地下のカウンター席しかないお好み焼き屋さんに私と妹2人だけ座らせて、「食べてて」と言って、どっかへ行ってしまうんです。
幼稚園児2人を放置していくなんて。これって、虐待ですよね。
どれくらいの時間そこに放置されてたか覚えてませんが、とにかイヤだった記憶があります。知らないおじさんから絶対声をかけられるんです。恐怖しかないですよ。
「母よ!1人でいったい何してたんですか?」謎。

厳格?な母

子供の頃、休みだからといってグダグダ一日を過ごした記憶はないです。学校も病気なら仕方ないですが、それ以外の用事で休んだことはないです。鼻血が出ていても鼻栓して登校させられたこと、今でも忘れられません。

夏休みと冬休みも容赦なく一日を過ごしました。ラジオ体操、休んだことないです。寝坊して残り5分しかなくてもダッシュで行かされました。
ちょっとでも横になっていたら、「どっか悪いの?!」と叱られらものです。(昼寝は父の介護をし始めてから覚えました。)
楽しみにしていた「夏休み子供劇場」も見せてもらえず。(T_T)
冬休みは大概、大掃除。掃除する場所のスケジュール立てておられました。もちろん母は、一緒に大掃除はしません。洋画の「家なき子」を感動しながら観てたのに、「外の網戸を洗ってきなさい!」と言われた時は泣けました。鬼です。
大晦日のおせち作りの手伝いも絶対。母は長男の嫁でした。正月は田舎に大勢親戚が集まります。そのためにおせちはたくさん作らなければなりません。一日しか時間がないため、かなり母は焦っており、毎年ピリピリムードの大晦日を過ごしていました。

親の手伝いは当然のことでしょうか?私が被害者顔しすぎ?友達から私のように親に言われ手伝ったとうことは聞いたことなかったんですよね。

病院は1人で行くべし!

病院受診1人デビューは小学生3年生の時。
学校帰りの歯医者でした。
子供にとってどんだけ病院に行くことが怖い事か。しかも付き添いなしの1人で行くことが。

小学生の時はよく転んでケガしてました。あんまり酷い時は、「〇〇さんに行ってらっしゃい!」と近くの内科で診てもらうようほぼほぼ言われました。先生は「うち、内科なんだけどぉ」と引いてました(笑)

高校生の時、鼻血がよく出たため一人で耳鼻科を受診したんですね。病院は車で出かけた時にみつけた自転車で行ける距離の所を自分で選んで行ったんです。そしたら、先生が「次回の受診はお母さんと一緒に来てください!」と言われ、「私、なんか変な病気なの?」めちゃくちゃビビりました。さすがに先生に来いと言われたら、母はきてくれました。 先生の話は、「娘さんは毛細血管が切れやすくなっているで、よく鼻血がでます。」これだけ。「え?母が来て聞く意味ある?」拍子抜けした記憶があります。その時、高校生でも親に話さないとダメなんだぁと思いました。普通は親が付きそうのかなぁ…とも。

今は親にどこにでも車で送り迎えしてもらう時代ですが、もし今、私が子供時代を過ごしていたら母は送り迎えしてくれただろうか…。

子供とは疲れるから遊ばない?!

母に遊んでもらった記憶はないです。オモチャで一緒に遊んだり、寝る前に本を読んでもらったといったことをしてもらってないです。子供の頃、家族旅行に行ったことはあります。しかし、ほとんどが親戚の叔母や叔父家族の旅行におまけで連れて行ってもらってました。惨めで寂しかったです。
遊園地とかピクニックも一緒に行った記憶はないです。
まあ、歳をとれば体はしんどくなりますが、子供のためなら疲れなんて二の次で一緒に遊びに出かけるでしょう?
私と妹は留守番させられることも多かったんですが、ほとんど叔父の家に預けられてました。
父の暴力から守るためだったかもしれません。

バカ言いなさい!

母に何かについて意見をしても、体の調子が悪いと伝えても、大抵、「バカ言いなさい!」で片付けられました。親身に話を聞いてくれませんでした。子供の言ったことを、ぱっと見で理解できたのか?
真実から目を背けていましたね。

長男が一番

私と妹はよく怒られ、何かしら手伝いをさせられていましたが、兄が怒られているところを見たことがありません。
手伝いをさせたこともないです。
やっぱり長男は大事なんですかね。
後に大切に育てたはずの長男は、介護拒否する薄情な大人になりました。

恐怖心のうえつけ

中学・高校生ともなると、友達と街に遊びに出掛けたくなります。
母はいい顔をしませんでした。
それどころか、「そんなところ、こわい人がウロウロしてるんだよ。さっさと帰ってきなさい!」と恐怖心を私にうえつけてきました。
母とは学校や友達の事、部活の事、進路・就職等を話題にした会話をした記憶はないです。
今思うに、母と何を話してたんだろう。母の心はどこにあったんだろう?

大人になっても娘を支配していたい

私が大人になってからも母は娘が遊ぶことに対し快く思っていませんでした。
週1回いや月1回が限度です。2回目とになると「誰がそんなに遊んでる?」と怒り、機嫌が悪くなり口を聞いてくれなくなります。「いやいや、友達は毎日遊んでますよ…食事するの週1回だって」と言えなかった私も悪かったんですよね。
まっすぐ家に帰り、夕食の支度を手伝えば、満足、機嫌は良かったです。

逆に、母のおかげで私はほとんどの料理ができるようになりました。本格的ではなくても、なんとなく味をイメージして作れます。母より私の方が食事を作ることが多くなっていたので、妹いはく、「私の母の味は、THICOの味だよ。」だそうです。

病気と闘う母に尽くしても…

私が20代半ばの頃、母は病気になりました。
大きな手術を3回、何度も入院しました。 

私の体は普通に歩けるレベルまで随分よくなっていました。

私と妹は入院中は毎日病院に行きました。
通院にも付き添い、治療をやめ、自宅に戻ってきてからも、出来ること全てをやりました。
長男はそんな母に対して優しい言葉の一言も言ってあげられない人間でした。見舞いにきても部屋に5分とおらず、帰ってしまう人。
どれだけ、私達が母に尽くしても母の心は兄にあったようです。

母についても、すくなからず毒親だったと思います。

小さい頃は母のことが大好きで、いつも一緒にいたくて、愛情を受けて育ったと思っていました。でも、実はそうではなかったんだなぁと亡くなってから思います。

母は父の事で悩み苦しみながら主婦をして、子供どころでない精神状態だったと思います。そして、母の苦しみを理解できるようになってからは「可哀想でほかっておけない」という想いがあり、自分のことより母の事を優先していたと思います。

最近は姉妹みたいな、友達みたいな親子をよく見かけます。羨ましい。
私も母と2人でショッピングや食事を楽しみたかったなぁ…。